日記で書けないこと

2001年11月14日
最近増えてきた。

ここのところ、ネットで○○を××していること。
東京で△△に行って□□をしていること。
今日は会社で◎◎がきたり、■■の会議をしていたりすること。


…どうしたものか。


快のボキャブラリー増加は止まらない。
最近、僕や妻のことばを、すんなりオウム返しする。
それから、僕がちょっとしかめつらをすると、快も悲しそうな顔をする。


プロフェッショナル

2001年11月13日
久々に「ムーンライトながら」で帰宅。
現在、14日の午前2時を回ったところ。

明日もあるので早く寝たいが、どうしても気になったこと。

三島のタクシーの運転手!
プロならプロらしく、仕事をしてくれ!

僕は、仕事で勝負したい。
ピュアに、自分の全身全霊を投げかけて、
「作品」としての仕事を会社に、世に問い、
それが評価されるか否かを楽しむ。

「いやあ、あの道、細いでしょ?
 竹藪が突き出てるから、通りたくないんだよね。
 メーター、お金は途中で切るから、
 遠回りしていい?」

まあ、田舎のタクシーと言ってしまえばそこまでだが。

先日、合同タクシーの評価が一部上がったのだが、
今夜はツバメタクシーの評価ががた落ちである。
(合同は、全般的に悪いが、一部運転手は
 まともだと気づいた)。


雨でも降っていれば、罵倒しているところだった。
やんでいて助かった。

お休みなさい。

また少し

2001年11月12日
胃が痛む。

明日の夜のことがあるからだろうか…。

なかなかしんどいところだ。
体力のなさが身にしみる。

10年後、果たして僕が何をしていたいのかを
考えてみた。
明確に文字にすると、何かふしぎな感じ。

日曜日は、今日締切の英語の仕事を2本。
だんだん慣れてきた。

買い換えた携帯。
カメラも面白いが、5000文字もメールが受けられるので、日経gooなどを登録する。
おもちゃだね、これは。


お買い物

2001年11月8日
快をつれて、仕事&保育園帰りにお買い物。

近くのキミサワが改装中なので、ちょっと遠くのキミサワへ。

最近、快をつれて買い物に行くと、たいへんなんですよね。
歓声を上げながらあちらこちらかけずり回り、
そこら中の目に付いた商品を手に取り、
あげくは棚の片っ端から商品をずりずりと出してきて、
最後には、お気に入りのお菓子なんかをクチに入れてる…(^_^;)

でも、昨日はとってもいい子でした。
「じゃあ、今日は何を買おうか…」
「ふふふ(にこにこ)」
「アスパラ、食べる?」
「(うんうんとうなずく)」
「あとは…ベーコンを」
「(ぱくぱく、と食べる真似)」

などと、穏やかに買い物は進みました。

「聞き分け」というのは、いつ頃現れるのだろうか、
などと不安に思っていた今日この頃だったが、
なんだ、快も成長してるじゃないか。
うんうん。


はじめてのチュウ

2001年11月6日
辻堂から復帰した快。

今回は、わがままにもヤダヤダにもならず、
非常にいい子である。

何だかずいぶんボキャブラリーが増えた。
それから、細かい芸も増えた。
ばーばや妻は教え込んでないことも、
いくつかやったりする。

おむつを換えるとき。
ウンチの場合は、かなりクサイ。あたりまえだが。
で、こないだ換えてたら、
「くっさい、くっさい」と自分で言ってた。
お前のじゃ! とつっこみながら換えました(^_^;)

で、先日の夜。
妻と二人で寝かしつけにかかると、ずいぶんご機嫌。
「かいくん、チュウして」というと、
目を閉じて、唇をちょこっととがらせて、
「ちゅーー」

「ママにもチュウして」というと、
また目を閉じて、唇をちょこっととがらせて、
「ちゅーー」

なかなかかわいいものである。

いつまでかわいいチュウができるものやら…。

福知山は雨

2001年11月5日
金・土の京都〜福知山詣での話。

実は、幼少の頃を京都と大阪の真ん中辺で過ごした僕。
だが、10数年ぶりの京都に、記憶を呼び起こさせるような雰囲気や、思い出のかけらはなかった。

まあもちろん、夕方6時過ぎに着いて、その後は京Mの同期と元同期の3人で河原町で飲んでいたので、思い出云々を味わう暇もなかったのだが…。

翌日は雨。
傘も持たずに京都に来た僕。
朝から特急に乗り込み、福知山へ。特急で1時間強。
到着すると、雨はいっそう激しく降っている。

約束までの中途半端な待ち時間をどうしたものか…と駅前を見回すが、なーんにもなかった(^_^;)

仕方なく駅前のマックへ。
中島らも「寝ずの番」の続きを読む。

…結婚式は、人前式にいわゆる日本の伝統的な披露宴をミックスさせたもので、僕にとっては初めて体験する雰囲気だった。

そしてスピーチ。
乾杯前、一番手、しかも、新婦側からは新婦の大学時代のゼミの教授なんかが出てきて、おいおい、そんなところで話してもいいのかよ? などと思いつつも、何とか終了。

コニシくんは一日満面の笑み。
奥さんはちょっと緊張気味だった。

往復の新幹線は、仕事場に早変わり。
グリーン個室は快適ではあったが、往復6時間は長かった…。

今日も疲れを引きずっている僕です。

準備

2001年11月1日
僕のこのところの人生は、何かの準備に費やされ続けている。

新規事業のスタート準備。
新しい生活を始める準備。
快が保育園に行く準備。
夕食の準備。

ま、何事も準備は大事。

で、今夜は「コニシくんの結婚式に参列するための準備」です。

まず、スピーチを頼まれています。これは大役です。しかも、一番手らしいです。
原稿、書けません。
2〜3分では語り尽くせません。とても。

次に、旅行の準備です。
結婚式は、コニシくんの実家に近い、福知山で行われます。きっぷや宿の手配は済んでいますが、京都で1泊するので、洋服や身の回り品の準備、祝儀袋の表書きなど、こまごまといろいろあります。

何となく、ちょっとわくわくしながらする、
そんな準備の時間が好きです。

傷つけること

2001年10月30日
自分が、仕事や日常生活で非常に傷つけられることが多いせいかもしれないけど、
人を傷つけることに余計なくらい敏感になっている。

誰とも関わらなければ、そんな心配はしなくて済むのに、とさえ、時々、思う。

僕は、すぐ調子に乗るタイプだから、
気づかないうちに傷つけたりする。
その積み重ねで、僕の印象はできていくから、
もう取り返しのつかないことになっている場合もある。


もう、そういうの、疲れたな。

好きとか嫌いとか、
やれとかやめろとか、
どっちが先かとか、
効率かあたたかさかとか、


考えずには生きていけないだろうけど、
考えずに済んだら、いいのにな…。

だいぶ、モチベーション下がってます。

僕の抱えてる辛いことは、外から見ればたいして辛いことじゃないのかな。

最悪の一日

2001年10月28日
昨夜、3時までかかって英語の仕事を仕上げる。
今朝は、6時起きで辻堂へ。法事である。

ただでさえ眠いのに、久々にあった快は
カゼの治りかけで、機嫌も悪く、
僕の顔を見ても「パパ」とさえ言わない。

おまけに、先週辻堂に行く前より、
格段にわがままになっている。

何をしても何を言っても、
「もーいや!」とか
「やーだ!」としか言わない。

お昼ご飯は箱根に移動して、温泉旅館で。
ところがここがまた最悪で、
従業員教育ゼロ、ホスピタリティということばも
知らないであろうクソ旅館だった。

食事を運んできた仲居が、
重箱のふたを座卓に思い切り落として、
あやまりもしなかったり、
注文しても「ちょっと待って」だって。

あまりにも気分が悪いので、とうとう中座して、
下階のラウンジのソファで寝ることにする。
1時間半は寝たかもしれないが、
全然すっきりせず。

帰宅後、何時間か寝るが、それでもだめ。
おまけに、起きても快の夕食は済んでないし、
もちろん、夕食の支度もせねばならず、
切れそうになるのを何度も抑えながら、
何とか2色丼とぶりの照り焼きを作る。

しかし、食事中も快はわめきまくるので、
途中で切り上げて、歯磨きして寝かせることに。

…とにかく疲れた。
朝より、輪をかけて疲れた。

僕がしんどいとき、疲れているとき、
妻に甘えたいところなのだが、
無理な話なのである。
妻は、快と一緒に、皿も洗わず、寝てしまった。
まあ、寝かしつけると一緒に寝てしまうのは
僕もわかるけど…。


今週は、かなり忙しくなりそうな週である。
こんな体調と
こんな気分で
持つのだろうか…。

(~0~)ネムイ

2001年10月26日
昨夜は午後休みで横浜と東京へ。

車で行ったら、なんと東名の集中工事だったことを忘れており、帰りは大渋滞。
東京インターで乗り込んだはいいが、厚木まで20キロも続く渋滞である。半端じゃない。

眠かったので港北で一休みしようとしたら、ぼーっとしていてすぎてしまった。高速を逆送してやろうかと生まれて初めて思った。

海老名で1時間半ほど寝て、カフェインを注入し、やっと渋滞を抜ける。

家まで3時間半もかかった。

おかげで今日は寝不足。
こういう日に限って、しっかりした打ち合わせがある。気合いを入れて乗り切る。あとは、図書券の封入発送、考課者訓練の準備、そして、来週のキャンペーン実施の準備。

明日も出社せざるを得なくなった。
久々の土曜出社。
そして、英語の仕事の締切も迫っている。

うー、、時間がほしい…。

受験が近づく。

2001年10月24日
いや、僕じゃなくて、全国の受験生諸君。

サポーターの仕事をはじめて、お客様と直接接するようになって、「受験生」のつらさが非常に身近に感じられるようになった。

「つらさ」と簡単に言っちゃいけないのかもしれない。なんせ、僕は受験しない。受験生を応援するだけである。

でも、そんな第三者でも、いや、第三者だからこそ、受験生のつらさを聞くことができる場合が多い。だからこそ、僕はこの仕事を続けられている。


…大学受験生のみなさん、あと数ヶ月。
いや、「まだ数ヶ月」と考えて、やり残したことのないように、悔いのない受験ができるように…。
体調にだけは十分気をつけてください。


さて、仕事ですが…。
11月中には、今年度の活動のまとめをします。
どうなることやら…。

コミュニケーション

2001年10月23日
2歳になって、快とコミュニケーションがしっかり取れるようになった。

まず、快の言うことばが、まともになってきたというのがある。「文」レベルのことが言えるようになってきたし、構成する一つ一つの単語も、ずいぶんはっきりしてきた。

「ばーばぶーぶのんのたーい」(ばーばの車に乗りたい)という具合に、だいぶ日本語に近づいている。

「しぇんしゃー」は、「電車」か「先生」かわかりにくかったが、今は「でんしゃー」とちゃんと言う。

僕の母校の吉田研作先生は、自分のこどもの発する音声・ことばを研究材料としたそうな。
さすがに僕は言語学者でも何でもないので、そこまではしない。

でも、日々がコミュニケーション論の実践研究のようではある。

秋晴れ

2001年10月19日
今シーズン一番の冷え込みと思われる朝だった。
洗濯物を干しにベランダに出ると、息が白く吐き出された。

我が家の北側の窓からは、富士山が見える。
マンションの前は、深い谷になっていて、その先には田畑が広がっているので、眺望は全く遮られない。この部屋を借りるとき、この眺望も決心した要因だった。

富士山は、夏より冬のほうがよく見える。
冬の寒い朝、白く雪化粧した富士山を拝んでから会社に行くのが好きだ。

今朝は、急に冷え込んだせいもあってか、富士山には全く雪がなかった。雪のない富士山がこんなにくっきり見えるのは、たぶん年に数日じゃないだろうか。

思わずカメラを持ち出して、ぱしゃぱしゃと何枚か撮る。
すると、快も何かを察したのか、まだ6時半なのにむくむくと起き出してきた。

今年一番の秋晴れ。
いい一日になりそうだ。

東京

2001年10月18日
今週も東京。
今日は会社を休んで、仕事がらみのお出かけという何ともはや、前向きな社会人化している僕。

とはいえ、出張とは違い、朝はのんびり、昼間もせかせかせず、東京での一日を満喫してきました。

久々に東京の町を歩き、驚いたのは、「カフェ」が乱立していたこと。
ドトールも場末の喫茶店も見あたらず、あちこちにスターバックスもどきのカフェが並んでいる。

東京には住めなさそうだな、やっぱり。

出かけるとき

2001年10月17日
快がごねるのは日常茶飯事になっています。
まあ、それはそれで楽しんでいますが…。

今朝も、いつものように「いないいないばあ」が終わって、テレビを消して、「さあ、行こう!」と言っても、座椅子に張り付いて立ち上がる気配がありません。

普段は、「じゃあ、今日はどのぶーぶ(ミニカー)を連れて行こうか?」とか言うと、鼻の穴をふくらませて大量のミニカーを抱えて玄関に向かうのですが、今日はそれにも反応しません。

仕方なく、ひょいと抱き上げて玄関まで連れて行くと、素直にたたきに座り、靴をはき始めました。

「だっこ」してもらいたかっただけだったんですよね。

ちょっと、ほんの一瞬のだっこで、よかったんですよね。

そんなちょっとしたふれあいを求めているんですよね。

…保育園に子どもを預けるというのは、とても辛いことだと思います。
だって、1日24時間のうち、快は10時間は保育園。10時間近く寝ますから、僕や妻と一緒にいられるのは、ほんの4時間。

その貴重な4時間でさえ、食事や風呂や歯磨きなどに費やされますから、ウィークデーはほんとうに、分単位でしか快と関わることはできないのです。

それを知っていながら、そして、快も「もっとぱぱやママと一緒にいたい」と思っていると知りながら、どんなに泣こうがわめこうが、8時半になったら保育園に置いてくる…。

胸が痛みます。
そして、この痛みは、仕事のストレスで痛む胃より、もっと痛いです。

僕は、ビジネスマンとしては甘いのかもしれません。
でも、僕は、その甘さを持った社会人でいたいと思います。

久々の東京。

2001年10月14日
所用で東京へ。
新幹線で行くのはかなり久しぶりである。

東京から離れてみて強く感じるのは、
東京って不親切だな、ということ。
僕はかろうじて大学まで東京で生きていたので
地下鉄の路線図とかある程度頭に入っている。

その僕でも、最近の新路線や新駅、新しい乗り入れにはだいぶとまどう。
昨日も、何度も何度も路線図を眺め直した。


「不親切」っていうのは、もう少し詳しく言うと、
「東京人として常にアップデートされていない人間には不親切」という意味である。

シアトル辺りのPC会社と一緒だな、と思いつつ…。

10万人

2001年10月11日
CPサイトがまもなく10万ヒットを迎える。
リンク
1年と4カ月か…。

作ったときは、せめてシゴトに役立つように、というつもりだったが、いつのまにかそんな範囲は超えてしまっている。

まあ、もちろん、「カウンタが10万回回った」っていうだけで、実際に見てくれた人がユニークで10万人ってわけじゃない。

でも、10万、っていう数字はちょっと居住まいを正して拝見したい数字です。

管理人としては、自分で自分をほめてあげたい。
そんな今日この頃です。


2001年10月10日
雨の日は保育園パパママは結構辛い。
特に、まだよちよち歩きの快のような子を抱える僕は、かなり辛い。

雨に濡れないようにしよう、なんて知恵はまだついていないし、雨なんかよりずっと興味を引くものが快の周りにはたくさんある。保育園に着く前にびしゃびしゃになること請け合いである。

そして、僕のスーツもびしゃびしゃになる。暴れる快を抱きかかえて泥だらけの園庭を歩いたりする。傘なんて差しててもほとんど意味をなさない。

何より、雨の日は車の運転が大変。
今日みたいな大雨はなおのことである。
それでも快は、最近のお気に入り「こっち!こっち!」をやる。

「こっちに曲がれ!」と言うのである。指さすのはたいてい曲がるべき方向と反対側であり、無理矢理快が望まない方向に曲がると、泣きわめく。

最近はあきらめて、保育園の帰りは半時ほどドライブする。「快くん、橋わたろうか!」とか、だましだまし家の方向に車を走らせていく。

子どもの言うことにダメとだけ言っていたらつまらない。でも、会社員にとってそれは生産性とは全く反する行為である。

…父は矛盾と胃痛を抱えつつ、今日も車を走らせる。安全運転しよ。

パーティー

2001年10月7日
日曜出勤で会社の創立記念パーティーへ。

沼津東急ホテルで立食パーティー。
妻の外出が重なったので、快は辻堂に預け、僕は久々に朝寝坊。車でホテルに向かう。

3時間ほどのパーティーだったが、どうにも腰が痛くてつらかった。立ちっぱなしなので食事をしている間はいいのだが、来賓の挨拶やら、食後の歓談やらの時には、まっすぐ立ってられないほどの痛みだった。

こりゃ整体行きだな…。


快が辻堂に行く土日は、僕にとっては息抜きの日。
ゆっくり料理して、ゆっくり本を読んで…。

…なのだが、今日はパーティーのおかげでままならなかった。それに、英語の仕事も飛び込んできているので、ロイヤルとジーニアス片手に内容検討。

少し休みたいな…。

火曜日は午後休。あ、でも快の健診があるんだっけ。
運動会です。
快はまだ「チューリップ組」なので、最初の方にお遊戯をするだけ。
ただ、親も子も初めての体験ですから、ちょっと興奮気味に出かけました。
カメラもばっちり準備。

ところが…。
「黄色い帽子」をかぶせられ、手にお花の飾りまで付けられて、お揃いの赤い帽子をかぶった妻と一緒に園庭に向かった快…。

のはずでした。

しかし、そんなにうまいこといくはずはなく、快は嬉々として保育園の「階段」へ。。
そう、最近の彼のお気に入りは、「階段上り下り」です。
お遊戯の曲が流れ、チューリップ組さんがみんなそろって「黄色い帽子」の踊りを踊る中、快はにこにこと階段を上ってはおり、下りては上り…。

連れに来た先生と妻からは「やだ!」の連発で逃げ回り、結局一つも踊らずに曲は終了してしまいました。


さて、そんな運動会を途中で切り上げて向かった先は、横浜みなとみらい。
「サルティンバンコ」のチケットを事務所から譲り受けた妻と、快をつれて横浜公演を見に行ったのです。

ところが…。

テントに入るなり、大音量の演者の声、そして観客の歓声…。

たちまち「こわーい!」「こわーい!」の連発。
なだめすかすこともできず、結局、妻一人が座席へ。テントの外まで声や音楽が漏れ聞こえてきたため、僕は泣きわめく快を連れてそのまま会場を後のしたのでした…。

教訓。
・うんどうかいは3歳から。
・子連れのお出かけは場所を選ぼう。
 (大丈夫だと思ったんだけどな。)

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