多忙

2002年2月18日
何度も言うようですが,日記も書けないほどの日々です。
忙しいんです。

横浜での仕事がこれほどだとは思いませんでした。はい。

ちょっと甘く見ていたかも。

日々,爆発的な分量の仕事が舞い,決めなければならないことが分単位でメールとして押し寄せ,
ただでさえ忘れかけていた英語の教材を片っ端から検討し…

今日も新幹線の終電1本前。
やっと夕飯を食べ終わりました。

快は,引越に備えて,ばーば宅で2週間ほど預かってもらうことに。
一人暮らしの日々です。はい。

本当は,保育園最後の日々とか,
新幹線通勤の日々とか,
インフルエンザから立ち直る日々とか,

かきたいことはいっぱいあるのに,
書けません。
さみしいっす。

インフルエンザ

2002年2月13日
やられてしまった。

金曜日退社時にどうもカゼっぽいな,
と思っていたら,土曜日にはもうかなりつらくて,
横浜事業所そばの医者へ。
薬を飲んで,汗も出して,まあ治るだろ,と思っていたら,
日曜の朝,9度4分。
月曜も起きることができず,休む。

丸2日寝ていたが,昨日の朝も7度9分で,
しかし,もうこれ以上寝ているわけにも行かず,
気合いで出社。

これが功を奏して,熱はだんだん下がっていく。
なあに,もう治りかけなのさ,と言い聞かせる。

今日。
咳はまだ出るが,薬の副作用で眠いのを除けば
かなりすっきりしている。
医者はそうだとも何とも言わないが,
インフルエンザだろう。
予防接種を受けなかった自分が悪いのだ。

ちなみに,受けた妻と快はぴんぴんしている。

…来シーズンは受けよう(^_^;)

あー

2002年2月7日
日記も書けない。

今週は週に2日のみ横浜出社の予定だったが、結局、明日、明後日とあちらに行くことになる。

行けば確実に夜遅くまで残業。

まあでも、今はまだ前向きに、かつ
体力も何とかついていっているので、
アドレナリン放出しながら頑張っています。

大切なのは体調の自己管理。
さ、やるぞー。

いよいよ

2002年2月2日
本格的な引越準備開始。

午前中は引越業者見積もりおよび
生命保険の営業さんとご相談。

売り払う,あるいは処分するモノの写真を撮り,
一部オークションに出品。

で,その後はテレビを見ながらのんびり。
快と妻は辻堂に行ってしまっているので,
久々に一人でゆっくり。

んで,結局よるまで英語の仕事を残してしまっている。これから…。
経営は「何をやらないか」の選択だと言います。
別に経営に限らず,日々の仕事,暮らし,何でもそうでしょうね。
自分の限られた時間を,何に費やすべきなのか。


今日は,我が課の最終日でした。
明日から3人,それぞれの道を歩みます。
別にリストラされるわけでもないですし,コニシくんとミヤジさんは明日からもしばらくは同じ仕事を続けますから,淡々と最終日は過ぎていきました。

僕は,4日から本格的に横浜に移っていきます。

横浜は,想像以上に大変です。

まさに,何をとるか,何をとらないか。
その選択を日々,刻々と迫られるのでしょう。

まずは,体調を崩しかけている,崩している人たちに,どんなことができるか。
業務フローにどこまでメスを入れられるか。

いろんなことを考えます。

ミヤジさんとキャリアカウンセリングのカンファレンスへ。
この4年,いろいろやってきたことの最後の終止符みたいな1日である。今日は。

キャリアカウンセリングは,たぶん今後,社内の多くの人がその必要性に気づく要素だと思う。その種をできる限り蒔いておきたいと思った。芽がきちんと出てくるかわからないけど,そして,僕は常に目を配って育てていくことはできないけど,見守るだけでもしていきたいと思う。

仕事が引けた後,夜は,「種を蒔く」だけじゃなくて,具体的な行動。ミヤジさんと,本物のプロのキャリアカウンセラーを引き合わせる。これから僕のネット上での活動でのキーパーソンになる人だ。

もちろん,「策士」としては,いろんなプロットを用意して…ってわけじゃないけど,僕が仕事とやりたいことの間でタイセツにあたためてきたものを,実行に移すための「巻き込み」はさせていただきました。

二人がどう感じたかはわかりません。
もしかしたら,「困ったなあ」と思っているかも。
まあ,それならそれでいいや…。

僕は,僕のベクトルで進んでいきます。
そして,できる限り「僕」という枠組みを日々壊し続けられるように,やります。

サバティカル

2002年1月28日
久しく日記を書いていませんでした。
先週,秋田に行って来ました。その後,さすがにばてたのと,仕事がぼちぼち忙しくなってきたのとで,だいありいのーとにつなぐことさえしてませんでした。

秋田行きを含めた1週間は,僕にとっては「サバティカル」でした。わずか1週間ですけどね。

こんな時期に有休たくさん使って,往復10時間もかけて1泊2日の旅に出たのは,もちろん,八巻さんに会うためでもあったけれど,

一番の理由は,「区切り」を付けたかったから。

八巻さんにあって,飲みながらいろんな話をして,別にその「区切り」についてずーっと話してた訳じゃないんだけど,
やっぱり来てよかったな,と思いました。

だいぶ,エネルギーをもらった気がします。
やっと前向きに,次のステップに進めるような気がしています。

…秋田から帰った日。
夜遅くなりました。
月がだいぶ大きく出ていて,我が家の外廊下からは,月下にうすぼんやりと富士山が見えました。
たぶん,もう少ししたらこんな夜の富士山も見られないなあと思うと,
残念に思うはずですが,普通なら,
なんとなく,いい気持ちでした。

皇后陛下

2002年1月21日
思いもかけず,皇后陛下にお会いしました。

ドイルさんの最終講義を一緒に受けました。

昔,皇太子の英語の先生をした縁から,
いらしていたようです。

僕は教室の一番後ろの方でしたから,
間近で,ではないですが,
やはり皇室の方のオーラというか,
空気が違う感じはしました。

むろん,数十人のお付きの人たちがいるから
そして,キャンパス内が大騒ぎだから,
というのもあるのですが,
それを引いても,ちょっと違う感じでした。


さて,最終講義ですが,
ドイルさんの人柄が表れた,楽しいものでした。
この人に教わって,結婚式もしていただいて,
本当によかったなあ,と改めて思いました。

印象に残ったことば。
There’s no other ’you’.

「きみ」はほかにはいない。


等身大で生きる。難しそうに聞こえますが,
ほんとに当たり前のことなのかもしれません。

60歳

2002年1月20日
父の還暦祝いを,家族4人+妻で執り行う。

銀座の懐石の店で,昼食。
弟には久々に会う。

僕は父が30の時の子どもです。だから,30になったときにまず思ったのは,「父も60か」ということ。
60ってのは,今の日本からすればたいしたことない年齢ですが,
やはり非常に感慨深いというか,
複雑な思いはあるようです。

これからどんな人生が,父や僕に待っているのかはわからないですが,
できれば健康でいられれば…
それだけは,と思います。
おなかが空いたとき、機嫌が悪いとき、
快は「だっこ」を要求してきます。

僕や妻が「だっこする?」って聞くせいか、
いつも、泣きながら両手をこちらに広げて、
「だっこしる〜」です。
「する」とは言えないところが2歳児です。

ところが最近、エスカレートしてきて、
何でもないときにも「だっこしる〜」攻撃が来ます。

そこで、僕は「攻撃は最大の防御」とばかりに、
快に対抗する技を考えました。
それが「もみもみしる〜」です。

快の「くすぐったがりポイント」の肩を
「もみもみ」してあげると、
とたんに笑顔でくねくねとのたうち回ります。
よっぽど泣き叫んでいない限りは、これで
「だっこしる〜」攻撃から逃れられます。


願わくば、会社で2歳児言葉が出ませんように…(^_^;)


反芻

2002年1月16日
最近の快のお気に入りは、「反芻」です。

週末に出かけたりして、印象的だった出来事を、
何度も何度も反芻するように、僕に告げます。

先週末に、御殿場の温泉会館で
二人でデートした後などは、
「カレーたべてぇ、アイシュたべてぇ、おふろはいったね」
と、ずーっと言い続けました。
今日もまだ言っています。

妻の実家から電車で帰ってきたときなどは、
「クラウンのってぇ、でんしゃのってぇ、タクシーのっちゃったねえ」と繰り返します。


「モノより思い出」って、日産セレナでしたっけ。
あのCM、結構好きです。
音楽…CCRのHave you ever seen the rainも素敵ですが、
子どもを育てている親にとって、
このキャッチフレーズは、きゅんとさせるものなのではないでしょうか。


やっと

2002年1月15日
正式に内示が出て、横浜行きが決まりました。
うちの会社の人事は、最後の最後まで何があるか分からないのが当たり前で、このあとどんなどんでん返しがあるかわかりませんが…。
きちんと「内示」をいただいたのは、7年間の社会人生活で初めてですので、まあ、今回は順当なのでしょう。

午前中、東京からお客様で、僕の作ったDBを見学。あちらでも顧客からの相談に乗るためのツールが欲しいそうだけど、どうやら問題はそれ以前のもので、「管理」の必要性がひしひしと伝わってくる。

午後は、サポーターの仕事を半分と英語の仕事を半分。頭を切り換えるのが大変。
のこりあと半月となると、あれやこれやとやらねばならぬことが出てくる。
一番心配なのは、ミヤジさんとコニシくんが、スムーズに次に移行できるかどうか、だ。

これから先は、それぞれの戦いが待っている。
またいつか巡り会ったときに、成長したな、とお互い思えるような…そんな「今後」が理想的なんだけどな。


個人的には、ここから先はいかに「仕事以外」の部分を作るか、だと思う。
もちろん、それには、「仕事をきちんとやる」というのが最低限求められる。
それ以外に、自分が自分として何ができるのか。

「選択と集中」これがキーワードになるのは、会社や組織だけじゃないみたいだ。


祝日も出社…

2002年1月14日
前にも書いたかもしれないが、うちの会社に「祝日」という概念はない。
丸7年も勤めると、もうその辺の感覚も麻痺していて、別に「不公平だ」などとは思わない。
祝日に出社するといいことさえある。

1.道が空いている。
2.カジュアルデーなので、服装が楽。
3.出社人数が少ないので、静かで仕事がはかどる。
4.妻が休みなので、残業できる。

というわけで、今日は朝からばりばりと仕事。
午前中からぶっ通しで英語の仕事を1本。
これでやっと今週分がはける。

合間にいくつかメール。シスコに行った後輩が、広島に転勤になるに当たって、「バイオを売って」と言ってきたのだが、残念ながら売却済みと知らせる。

質問カード。
僕のところには、ヘビーな相談のものがよく来る。今回のものは、年末に1度回答した子がまた出してきたもの。

メールカウンセリングに関する情報収集。
マーケ的には、なるべく対象を絞り込みたいところ。どこまで絞るのか。

「オヤオヤ」の情報整理。
在庫処分をすれば、これでほぼ業務終了、である。

土日は快と妻にべったりだったので、
久々に「仕事したあ」という感じ。
さて、今週もぼちぼち行きますか。

立ち向かうこと

2002年1月13日
まだ、思い出すとかなり辛くなる出来事があります。
たぶん、しばらくは同じような状況が続くでしょう。

こころのなかで、半分は「この状況から抜け出したい」と思っています。

でも、もう半分では、「それじゃ負けじゃん」と感じています。


とりあえずは、転機を迎え、自分の気持ちを整理することで、その出来事を忘却の彼方へ押しやろうとしているのですが、

本当にそれでいいんでしょうか。

別れ

2002年1月11日
このところ毎年別れが来る。
仕事上、おつきあいのある方々の転機。
昨日も、移籍するCPの方と一杯ご一緒してきました。

僕は、結構この瞬間、好きなんですよ、実は。

「別れ」というより、
仕事がらみだけじゃない今後のつきあいについて話すことができたり、
今までの仕事の流れではとても話せないような、(愚痴を含む)さまざまな話ができたり。


僕も含めて、多くの人が転機を迎えています。
願わくば、次のステップが前向きで、楽しいものになりますように…。

さて、最近ご挨拶をさぼっておりました。

えーしーびー

2002年1月8日
快の最近のお気に入りは、「ABC song」。
♪A-B-C-D-E-F-G-という、例のあれですな。

B社の株主優待でもらった英語のビデオ、
CD両方に収録されており、
年末まででほぼ完全に覚えてしまったようです。

車に乗っては「CDをかけろ」と要求し、
家に帰っては「ビデオを見せろ」と求めます。
すり切れるほど見聞きしてますから、当たり前
といえば当たり前。

ただし、「えーびーしー」だけがどうしても言えず、
「えーしーびー」になります。

だから、「要求」の時も、「えーしーびー」です。
近頃はこちらも「はいはい、えーしーびー聞くのね?」
などと、よくわからなくなってきました。

ついに…

2002年1月6日
マンションの契約をしました。

午前中一杯がかりで、横浜の営業所にて
契約書や重要事項説明書の読み合わせ、
署名捺印、ローン手続きの書類の準備などをしました。

読み合わせに時間がかかりましたが、
事前の打ち合わせも充実していたので
意外にあっさり終了。
手付け金の100万を支払い、妻とお昼へ。

快が生まれてから、妻と二人で外出は
ほとんどなくなりました。
久々に、しばしデート気分で…かな?

さて、続いて三越の上にある大塚家具へ。
10000平米を超える巨大な店。
入会手続きをしたあと、イセキさんという
女性と、図面を見ながらイメージを作る。
その後、5時間もかけて4フロアを回遊。

主に重要な家具、ソファとベッドに時間を割く。

勉強になりました。
家具屋って、こういうやり方もできるんだ、と。
あ、もちろん、家具自体も…。
ソファって、こういう視点で見るんだ、とか。
ベッドって、木枠が付いてないのもあるんだ、とか。

ひじょーに疲れましたが、面白い一日でした。

さて、明日からローン手続きのための書類集めなどが始まります。

引き渡しは2月末。
それまでは何かと慌ただしい日々になりそうです。

正月2002

2002年1月3日
快が生まれてから続いている川奈と、
昨年も泊まった妻のお父さんの会社の
箱根の寮とに、連泊してきました。

両方の両親と、親戚のおじちゃん、おばちゃん。
総勢8名プラス快というご一行。
妻は昨夜、熱を出してダウンというおまけ付きながら、
何とか乗り切ってきました。

両方の両親には、マンションを買うご報告をし、
快はばーば3人にお風呂に入れてもらい、
そして、なんといっても、じーちゃん(僕の父)に
もらったミニカー4台が非常に気に入ってしまい、
3日間ずーっと、「じーちゃん、じーちゃん」
言い続けていたのがおかしかったです。

30になって、「落ち着く」ことはないけど、
いろいろ少しずつ変化が始まりつつあります。

おきにいりしてくださっているみなさま、
今年もよろしくお願いいたします。

30にして…

2001年12月31日
明日でとうとう30歳になります。

20代最後にしたことは、
「パソコンの買い換え」!!

愛するバイオをうっぱらって、
Thinkpad s30を購入。
展示品ながら、美しい。
しかも、激安。

バイオは、下取り価格への不満から、
いったん持ち帰ってオークションに出すことに。
だれかかってくれないかなあ。

さて、30になってなにが変わるか。

私は大きく変わる予定です。

業務終了

2001年12月29日
便秘ネタですっかり「1年の締め」が飛んでしまったので、昨日を振り返ります。

午前中、医者へ。
舌の調子はほぼ快復したのですが、どうやら風邪をどこかでもらってきたらしく、のどが痛み始めていました。医者は一見して「風邪ですね。のどが真っ赤です」と。

結局、年末年始の分の、舌と風邪の薬を大量にもらい、3000円も払って帰宅。

午後は御殿場の市営温泉へ。
500円で富士山一望のお湯に浸かれる、僕は結構お気に入りの日帰り風呂である。


そして、夜。
便秘騒動が片づいたあと、黙々と英語の仕事。
今年最後の仕事である。
3時間ほどで完了。


長い1年だった。

仕事では、大きな変化があった。
気持ちというか、人生観というか、
時間の使い方というか、いろんな大枠に変化があった年だったと思う。


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