すなおマン
2001年10月4日やだやだマンのパワーは3日しか持たないらしい。
今日は一日すなおマンな快。
朝の目覚めは多少悪かったが、笑顔で梅干しおにぎりを1個食べる(しかも、僕の分の大きい方を横取りして…)。
お見送りもスムーズ。ちょっと泣いたけど。
さて、お迎え。
今日は、ちゃーんとロッカーから鞄を出して、待ちかまえていた。
家に帰ってからも、ごきげん。
ぱくぱくと夕飯を食べ、にこにこでごろごろ遊び始める。あまりに機嫌がいいので、ばーばに電話して、最近歌えるようになった「はとぽっぽ」の歌を聴かせてあげる。
(といっても、さいしょの「ぽっぽっぽー」と、各フレーズの最後の音くらいしか言えないけど…「そらやるぞー」の「ぞー」だけとか(^_^))
人間だもの、2歳児だって。
感情や体調の起伏はある。
それよりも27年も齢を重ねている僕が、快の前ではできるだけ起伏を見せずにいられるか、なのだろう。
親が起伏を見せたら負けのような気がする。
今日は一日すなおマンな快。
朝の目覚めは多少悪かったが、笑顔で梅干しおにぎりを1個食べる(しかも、僕の分の大きい方を横取りして…)。
お見送りもスムーズ。ちょっと泣いたけど。
さて、お迎え。
今日は、ちゃーんとロッカーから鞄を出して、待ちかまえていた。
家に帰ってからも、ごきげん。
ぱくぱくと夕飯を食べ、にこにこでごろごろ遊び始める。あまりに機嫌がいいので、ばーばに電話して、最近歌えるようになった「はとぽっぽ」の歌を聴かせてあげる。
(といっても、さいしょの「ぽっぽっぽー」と、各フレーズの最後の音くらいしか言えないけど…「そらやるぞー」の「ぞー」だけとか(^_^))
人間だもの、2歳児だって。
感情や体調の起伏はある。
それよりも27年も齢を重ねている僕が、快の前ではできるだけ起伏を見せずにいられるか、なのだろう。
親が起伏を見せたら負けのような気がする。
やだやだマン続編
2001年10月2日まだ続いています。たぶん3歳になるまで続くんでしょう(^_^;)
今日は、1年ちょっとの保育園生活で、初のことがありました。
お迎えの時、快が僕の顔を見て
「(うちに帰るの)やだ!」
と言ったのです。
日頃は、僕の車の音が聞こえるか聞こえないかのうちから、自分の通園バッグをロッカーから引きずり出し、園庭に飛びださんばかりの勢いで乗り出してお迎えを待ち、僕が手を振ると「ぱああぱああー」と言って飛びついてくる…
という快ですから、これは非常に驚きでした。
やだやだマンは、ついに教室の床に這い蹲って、先生が抱き上げようとするのを拒んでいます。
親としては複雑でした。
快が独り立ちしようとしている。自我の芽生え。
terrible two’s だよ、とか…。そりゃしかたないね、成長過程だから、とか。
いろんな冷静な単語が頭を飛び交います。
でも、正直、かなり寂しい。
親ばかパパとしては、かなり寂しいんです。
何とかなだめすかして車に乗せ、帰宅しました。
かえってきてしまえばいつものように振る舞う快に、思わず「ねえ、パパのこと嫌いになった?」と聞いてしまった僕でした。
今日は、1年ちょっとの保育園生活で、初のことがありました。
お迎えの時、快が僕の顔を見て
「(うちに帰るの)やだ!」
と言ったのです。
日頃は、僕の車の音が聞こえるか聞こえないかのうちから、自分の通園バッグをロッカーから引きずり出し、園庭に飛びださんばかりの勢いで乗り出してお迎えを待ち、僕が手を振ると「ぱああぱああー」と言って飛びついてくる…
という快ですから、これは非常に驚きでした。
やだやだマンは、ついに教室の床に這い蹲って、先生が抱き上げようとするのを拒んでいます。
親としては複雑でした。
快が独り立ちしようとしている。自我の芽生え。
terrible two’s だよ、とか…。そりゃしかたないね、成長過程だから、とか。
いろんな冷静な単語が頭を飛び交います。
でも、正直、かなり寂しい。
親ばかパパとしては、かなり寂しいんです。
何とかなだめすかして車に乗せ、帰宅しました。
かえってきてしまえばいつものように振る舞う快に、思わず「ねえ、パパのこと嫌いになった?」と聞いてしまった僕でした。
「やだ!」
2001年10月1日快が帰ってきました。
1週間の辻堂暮らしで、一つ覚えた単語。
「やだ!」
今までは「いや!」だったのだが、1レベルアップという感じ。語感が違います。
「保育園行こうか?」「いや!」と
「保育園行こうか?」「やだ!」とはだいぶ違う。
もちろん、親の僕がそう感じるだけですが…。
今朝は、起き抜けはえらくご機嫌で、にっこにっこしていたのですが、いざ「英語であそぼ!」が終わって「いないいないばあ」に突入し、僕も着替えを済ませ、ネクタイを締めると、「やだ!」攻撃が始まりました。
何とかだましすかし、保育園に送り届けたのですが、折からの雨で足下が滑り、階段を1段踏み外してしまいました。
そのとたん、「ぴきーん」と腰が鳴り…。
腰痛です。ねんざ風。
サロンパス張って寝ます。
1週間の辻堂暮らしで、一つ覚えた単語。
「やだ!」
今までは「いや!」だったのだが、1レベルアップという感じ。語感が違います。
「保育園行こうか?」「いや!」と
「保育園行こうか?」「やだ!」とはだいぶ違う。
もちろん、親の僕がそう感じるだけですが…。
今朝は、起き抜けはえらくご機嫌で、にっこにっこしていたのですが、いざ「英語であそぼ!」が終わって「いないいないばあ」に突入し、僕も着替えを済ませ、ネクタイを締めると、「やだ!」攻撃が始まりました。
何とかだましすかし、保育園に送り届けたのですが、折からの雨で足下が滑り、階段を1段踏み外してしまいました。
そのとたん、「ぴきーん」と腰が鳴り…。
腰痛です。ねんざ風。
サロンパス張って寝ます。
長島茂雄
2001年9月28日残業している間に引退会見があった。
僕はナガシマの現役時代は、後追いでしか見たことがない。現役引退の74年、僕は2歳。
しかし、現役時代、引退セレモニーのVTRは、何度も何度も見た。2度の監督時代はリアルタイムで追いかけた。
野球少年、高校球児だった父の影響は大きい。
僕の父の思い出は、ナイターとキャッチボールだ。
後楽園球場にも、神宮球場にも、何度も連れて行ってもらった。
94年の日本一。
銀座のパレードを見に行った。
東京駅前で、妻(結婚前ですが)と二人で待っていると、オープンカーに乗ったナガシマがやってきた。僕は、幼子のように手を振った。ナガシマは、僕の方を見てにこやかに手を振り返した…。
もちろん、そんな気がしただけだ。
でも、「そんな気がした」と思わせる何かがあった。そういう人なんだと思う。
情けない、なんか泣きそうになってきた。
ビール飲んで寝よう。
僕はナガシマの現役時代は、後追いでしか見たことがない。現役引退の74年、僕は2歳。
しかし、現役時代、引退セレモニーのVTRは、何度も何度も見た。2度の監督時代はリアルタイムで追いかけた。
野球少年、高校球児だった父の影響は大きい。
僕の父の思い出は、ナイターとキャッチボールだ。
後楽園球場にも、神宮球場にも、何度も連れて行ってもらった。
94年の日本一。
銀座のパレードを見に行った。
東京駅前で、妻(結婚前ですが)と二人で待っていると、オープンカーに乗ったナガシマがやってきた。僕は、幼子のように手を振った。ナガシマは、僕の方を見てにこやかに手を振り返した…。
もちろん、そんな気がしただけだ。
でも、「そんな気がした」と思わせる何かがあった。そういう人なんだと思う。
情けない、なんか泣きそうになってきた。
ビール飲んで寝よう。
誰かがやる?
2001年9月27日僕が「これはうちの会社には必要だろう」と考えることなんて、たぶんもう既に他の誰かも考えていることだ…。
そう思えたらこんなに辛くなかったのかもしれない。
しがらみとか、制度とか、規則とか、組織とか、いろいろあるけど、本当に困ったときには無条件にできる限りの協力をする、ってのは、やっぱりみんな当たり前に思えるんだ…。
みんながそう思えるような会社は、異常なんだろうか?
久々に同期とメールのやりとりをした。
昔僕が書いた文章を読んで、二人でちょっとセンチメンタルな気持ちになる。
「みんな変わったよね」という話が出る。
本当にみんなが変わったのだろうか?
それとも、僕と彼女が変わったのだろうか?
わからないけど、僕にとってかなり居心地がわるい環境になっているのは間違いない。どうしてだろう?
そう思えたらこんなに辛くなかったのかもしれない。
しがらみとか、制度とか、規則とか、組織とか、いろいろあるけど、本当に困ったときには無条件にできる限りの協力をする、ってのは、やっぱりみんな当たり前に思えるんだ…。
みんながそう思えるような会社は、異常なんだろうか?
久々に同期とメールのやりとりをした。
昔僕が書いた文章を読んで、二人でちょっとセンチメンタルな気持ちになる。
「みんな変わったよね」という話が出る。
本当にみんなが変わったのだろうか?
それとも、僕と彼女が変わったのだろうか?
わからないけど、僕にとってかなり居心地がわるい環境になっているのは間違いない。どうしてだろう?
共働き再考
2001年9月26日危うく13時間勤務になりそうなところをすり抜けて帰宅。
ふと新聞受けを見ると、何か入っている。デパートの包み。
お隣さんの引っ越しのご挨拶だった。
今日引っ越していってしまったらしい。
共働き夫婦に「ご近所づきあい」という文字はほとんどない。もちろん、最低限の儀礼は欠かさないが、どうしても生活時間帯が合わない。
今回のようなケースはしょっちゅうある。
でもなんだかちょっと寂しいかな…。
ふと新聞受けを見ると、何か入っている。デパートの包み。
お隣さんの引っ越しのご挨拶だった。
今日引っ越していってしまったらしい。
共働き夫婦に「ご近所づきあい」という文字はほとんどない。もちろん、最低限の儀礼は欠かさないが、どうしても生活時間帯が合わない。
今回のようなケースはしょっちゅうある。
でもなんだかちょっと寂しいかな…。
髭問題
2001年9月25日実は、1ヶ月ほどひげを伸ばしています。
「のばしている」というか、長い盆休みの間に無精をしていたものをそのまま放置してあるだけ。
面白いもので、周りの反応は必ず
「何? どうしたの? 何か意味あるの?」
というものです。数年前に髪をブリーチしたときもそうでした。確かあのときも、同期の仲間とノリだけでやって、その後そういう周りの反応が嫌でたまらず、しばらくして元の色に戻したという経緯がありました(今は人にはわからないくらいの色にしてあります)。
別に意味なんてないんだけどね。
なぜみんなそうやって「意味」を探したがるのでしょうか…。
それも、僕に面と向かって意味を聞く人はまだしも、陰でこそこそやるやつが一番嫌いです。僕は。
面倒くさいので、親しい人には「彼、最近奥さんに逃げられたみたいですよ」とか「ビールをジョッキで飲んだときに泡がつくのをやりたかったんですって」というテキトーな理由を吹聴して回るようにとお願いしておきました。
で、1ヶ月経って思うこと。
これが楽なんですよね。
ひげは毎日伸びます。だから、そろうと思うと毎日毎朝そらなくてはなりません。僕は電気シェーバー派なので、そり残しが出たりします。几帳面なたちなので、それが非常に気になります。だから朝の貴重な時間が結構ひげ剃りに費やされるのです。
それがなくなりました。
今は、たまにのびすぎた部分を切りそろえるくらいです。
それから、ちょっとおかしいのが、「真ん中が生えない」ということです。鼻の下、顎の中心部分に、周囲のような濃い毛が生えてこないのです。
だから今、僕の顔を見ると結構滑稽なはず。写真でもアップしておこうかしらん。
「のばしている」というか、長い盆休みの間に無精をしていたものをそのまま放置してあるだけ。
面白いもので、周りの反応は必ず
「何? どうしたの? 何か意味あるの?」
というものです。数年前に髪をブリーチしたときもそうでした。確かあのときも、同期の仲間とノリだけでやって、その後そういう周りの反応が嫌でたまらず、しばらくして元の色に戻したという経緯がありました(今は人にはわからないくらいの色にしてあります)。
別に意味なんてないんだけどね。
なぜみんなそうやって「意味」を探したがるのでしょうか…。
それも、僕に面と向かって意味を聞く人はまだしも、陰でこそこそやるやつが一番嫌いです。僕は。
面倒くさいので、親しい人には「彼、最近奥さんに逃げられたみたいですよ」とか「ビールをジョッキで飲んだときに泡がつくのをやりたかったんですって」というテキトーな理由を吹聴して回るようにとお願いしておきました。
で、1ヶ月経って思うこと。
これが楽なんですよね。
ひげは毎日伸びます。だから、そろうと思うと毎日毎朝そらなくてはなりません。僕は電気シェーバー派なので、そり残しが出たりします。几帳面なたちなので、それが非常に気になります。だから朝の貴重な時間が結構ひげ剃りに費やされるのです。
それがなくなりました。
今は、たまにのびすぎた部分を切りそろえるくらいです。
それから、ちょっとおかしいのが、「真ん中が生えない」ということです。鼻の下、顎の中心部分に、周囲のような濃い毛が生えてこないのです。
だから今、僕の顔を見ると結構滑稽なはず。写真でもアップしておこうかしらん。
葬儀
2001年9月24日妻の祖母が亡くなった。
同居だったが、長いことホームに入っていて、最近は体調を崩して病院に移されていたらしい。
快の誕生日のお祝いを、川奈のしーちゃんちでしている最中に、病院からの電話が鳴ったのだ。
ばーばたちはそのまま取り急ぎ帰宅。
うちの3人と僕の両親はそのまま1泊し、翌日辻堂へ。駅前の斎場で通夜。
僕はいったん帰宅。
今朝は会社にちょっと顔を出し、昨日突然電話して朝から来てもらうことになったミヤジさんにいくつか引継をして、特急東海で平塚まで。辻堂でちょっと遅い朝飯を食うが、胃が痛くてほとんど食べられず。人間ドック前からの痛みは、和らいできたもののまだある。
11時から葬儀。昼過ぎに藤沢市の火葬場へ。
忌中払いは遠慮して、そのまま帰宅。
R1バイパスから辻堂駅まで15分ほど歩く。久々に待ちを歩いた。
大磯くらいから意識がない。相当疲れていて眠かったらしく、函南まで起きることができなかった。
遅い昼飯だか夕飯だかわからない食事として、明太子スパゲッティを作って食う。6時過ぎに出社。
ミヤジさん、コニシくんとも、唐突に休んだのに本当によくやってくれて、安心して任せられた一日だった。ありがたい。アルバイトの様子を確認し、いくつかの仕事を片づけ、帰宅。
長い一日であった。
葬儀はいつ出てもいやなものである。
楽しいことなんてない。
快は、今週いっぱい辻堂に預けられることになった。来月に向けてちょっとみっちり働いておこう。
同居だったが、長いことホームに入っていて、最近は体調を崩して病院に移されていたらしい。
快の誕生日のお祝いを、川奈のしーちゃんちでしている最中に、病院からの電話が鳴ったのだ。
ばーばたちはそのまま取り急ぎ帰宅。
うちの3人と僕の両親はそのまま1泊し、翌日辻堂へ。駅前の斎場で通夜。
僕はいったん帰宅。
今朝は会社にちょっと顔を出し、昨日突然電話して朝から来てもらうことになったミヤジさんにいくつか引継をして、特急東海で平塚まで。辻堂でちょっと遅い朝飯を食うが、胃が痛くてほとんど食べられず。人間ドック前からの痛みは、和らいできたもののまだある。
11時から葬儀。昼過ぎに藤沢市の火葬場へ。
忌中払いは遠慮して、そのまま帰宅。
R1バイパスから辻堂駅まで15分ほど歩く。久々に待ちを歩いた。
大磯くらいから意識がない。相当疲れていて眠かったらしく、函南まで起きることができなかった。
遅い昼飯だか夕飯だかわからない食事として、明太子スパゲッティを作って食う。6時過ぎに出社。
ミヤジさん、コニシくんとも、唐突に休んだのに本当によくやってくれて、安心して任せられた一日だった。ありがたい。アルバイトの様子を確認し、いくつかの仕事を片づけ、帰宅。
長い一日であった。
葬儀はいつ出てもいやなものである。
楽しいことなんてない。
快は、今週いっぱい辻堂に預けられることになった。来月に向けてちょっとみっちり働いておこう。
アフガンからの手紙
2001年9月20日国連難民高等弁務官の千田さんからのメールです。
千田さんは、国連難民高等弁務官カンダハール事務所で仕事をしていましたが、オサマ・ビン・ラディン氏をかくまっているとされるタリバンの本拠地へのアメリカの軍事行動などの危険性が出てくる中、一時的に勤務先をパキスタンに移転するという措置で、「避難」をしていますが、その緊急避難の最中にしたためた手記です。
今日はこれを掲載します。
***********************************
報道機関の煽る危機感
9月12日(水)の夜11時、カンダハールの国連のゲストハウスでアフガニスタンの人々と同じく眠れない夜を過ごしている。私のこの拙文を読んで、一人でも多くの人が アフガニスタンの人々が、(ごく普通の一人一人のアフガン人達が)、どんなに不安な気持ちで9月11日(昨日)に起きたアメリカの4件同時の飛行機ハイジャック襲撃事件を受け止めているか 少しでも考えていただきたいと思う。テレビのBBCニュースを見ていて心底感じるのは今回の事件の報道の仕方自体が 政治的駆け引きであるということである。特にBBCやCNNの報道の仕方自体が根拠のない不安を世界中にあおっている。
事件の発生直後(世界貿易センターに飛行機が2機突っ込んだ時点で)BBCは早くも、未確認の情報源よりパレスチナのテログループが犯行声明を行ったと、テレビで発表した。それ以後事件の全貌が明らかになるにつれて オサマ.ビン.ラデンのグループの犯行を示唆する報道が急増する。その時点でカンダハールにいる我々はアメリカがいつ根拠のない報復襲撃をまた始めるかと不安におびえ、明らかに不必要に捏造された治安の危機にさらされる。何の捜査もしないうちから、一体何を根拠にこんなにも簡単に パレスチナやオサマ・ビン・ラビンの名前を大々的に報道できるのだろうか。そしてこの軽率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員の生命を脅かしていることを全く考慮していない。
1998年8月にケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件があった時、私は奇しくも ケニヤのダダブの難民キャンプで同じくフィールドオフィサーとして働いており、ブッシュネル米国在ケニヤ大使が爆破事件の2日前ダダブのキャンプを訪問していたという奇遇であった。その時も物的確証も無いまま オサマ・ビン・ラデンの事件関与の疑いが濃厚という理由だけでアメリカ(クリントン政権)はスーダンとアフガニスタンにミサイルを発射した。スーダンの場合は、製薬会社、アフガンの場合は遊牧民や通りがかりの人々など 大部分のミサイルがもともとのターゲットと離れた場所に落ち、罪の無い人々が生命を落としたのは周知の事実である。まして 標的であった軍部訓練所付近に落ちたミサイルも肝心のオサマ・ビン・ラデンに関与するグループの被害はほぼ皆無だった。タリバンやこうした組織的グループのメンバーは発達した情報網を携えているので、いち早く脱出しているからだ。前回のミサイル報復でも 結局犠牲者の多くは 子供や女性だったと言う。
我々国連職員の大部分は 今日緊急避難される筈だったが天候上の理由として国連機がカンダハールに来なかった。ところがテレビの報道では「国連職員はアフガニスタンから避難した。」と既に報道している。報道のたびに「アメリカはミサイルを既に発射したのではないか。」という不安が募る。アフガニスタンに住む全市民は 毎夜この爆撃の不安の中で日々を過ごしていかなくてはいけないのだ。更に、現ブッシュ大統領の父、前ブッシュ大統領は 1993年の6月に 同年4月にイラクが同大統領の暗殺計画を企てた、というだけで 同国へのミサイル空爆を行っている。世界史上初めて、「計画」(実際には何の行動も伴わなかった?)に対して実際に武力行使の報復を行った大統領である。現ブッシュ大統領も今年(2001年)1月に就任後 ほぼ最初に行ったのが イラクへのミサイル攻撃だった。
これが単なる偶然でないことは 明確だ。更にCNNやBBCは はじめからオサマ・ビン・ラデンの名を引き合いに出しているが米国内でこれだけ高度に飛行システムを操りテロリスト事件を起こせるというのは大変な技術である。なぜ アメリカ国内の勢力や、日本やヨーロッパのテロリストのグループ名は一切あがらないのだろうか。他の団体の策略政策だという可能性は無いのか?
国防長官は早々と 戦争宣言をした。アメリカが短絡な行動に走らないことをただ祈るのみである。
それでも 逃げる場所があり 明日避難の見通しの立っている我々外国人は良い。今回の移動は 正式には 避難(Evacuation)と呼ばずに 暫定的勤務地変更(Temporary Relocation)と呼ばれている。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられるというのだろうか? アメリカは隣国のパキスタンも名指しの上、イランにも矛先を向けるかもしれない。前回のミサイル攻撃の時は オサマ・ビン・ラデンが明確なターゲットであったが 今回の報道はオサマ・ビン・ラデンを擁護しているタリバンそのものも槍玉にあげている。タリバンの本拠地カンダハールはもちろん、アフガニスタン全体が標的になることはありえないのか? アフガニスタンの人々も タリバンに多少不満があっても 20年来の戦争に比べれば平和だと思って積極的にタリバンを支持できないが 特に反対もしないという中間派が多いのだ。
世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センターやハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から死を悼み 無念の想いをやり場の無い怒りと共に抱いているように、アフガニスタンにも たくさんの一般市民が今回の事件に心を砕きながら住んでいる。アフガンの人々にも嘆き悲しむ家族の人々がいる。世界中で ただテロの“疑惑”があるという理由だけで、嫌疑があるというだけで、ミサイル攻撃を行っているのは アメリカだけだ。世界はなぜ こんな横暴を黙認し続けるのか。このままでは テロリスト撲滅と言う正当化のもとに アメリカが全世界の“テロリスト”地域と称する国に攻撃を開始することも可能ではないか。
この無差別攻撃や ミサイル攻撃後に 一体何が残るというのか。又 新たな報復、そして 第2,第3のオサマ・ビン・ラデンが続出するだけで何の解決にもならないのではないか。オサマ・ビン・ラデンがテロリストだからと言って、無垢な市民まで巻き込む無差別なミサイル攻撃を 国際社会は何故 過去に黙認しつづけていたのか。これ以上 世界が 危険な方向に暴走しないように、我々も もう少し 声を大にしたほうが良いのではないか。
アフガンから脱出できる我々国連職員はラッキーだ。不運続きのアフガンの人々のことを考えると 心が本当に痛む。どうか これ以上災難が続かないように 今はただ祈っている。そしてこうして募る不満をただ紙にぶつけている。
千田悦子 2001年9月13日 筆
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千田さんは、国連難民高等弁務官カンダハール事務所で仕事をしていましたが、オサマ・ビン・ラディン氏をかくまっているとされるタリバンの本拠地へのアメリカの軍事行動などの危険性が出てくる中、一時的に勤務先をパキスタンに移転するという措置で、「避難」をしていますが、その緊急避難の最中にしたためた手記です。
今日はこれを掲載します。
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報道機関の煽る危機感
9月12日(水)の夜11時、カンダハールの国連のゲストハウスでアフガニスタンの人々と同じく眠れない夜を過ごしている。私のこの拙文を読んで、一人でも多くの人が アフガニスタンの人々が、(ごく普通の一人一人のアフガン人達が)、どんなに不安な気持ちで9月11日(昨日)に起きたアメリカの4件同時の飛行機ハイジャック襲撃事件を受け止めているか 少しでも考えていただきたいと思う。テレビのBBCニュースを見ていて心底感じるのは今回の事件の報道の仕方自体が 政治的駆け引きであるということである。特にBBCやCNNの報道の仕方自体が根拠のない不安を世界中にあおっている。
事件の発生直後(世界貿易センターに飛行機が2機突っ込んだ時点で)BBCは早くも、未確認の情報源よりパレスチナのテログループが犯行声明を行ったと、テレビで発表した。それ以後事件の全貌が明らかになるにつれて オサマ.ビン.ラデンのグループの犯行を示唆する報道が急増する。その時点でカンダハールにいる我々はアメリカがいつ根拠のない報復襲撃をまた始めるかと不安におびえ、明らかに不必要に捏造された治安の危機にさらされる。何の捜査もしないうちから、一体何を根拠にこんなにも簡単に パレスチナやオサマ・ビン・ラビンの名前を大々的に報道できるのだろうか。そしてこの軽率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員の生命を脅かしていることを全く考慮していない。
1998年8月にケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件があった時、私は奇しくも ケニヤのダダブの難民キャンプで同じくフィールドオフィサーとして働いており、ブッシュネル米国在ケニヤ大使が爆破事件の2日前ダダブのキャンプを訪問していたという奇遇であった。その時も物的確証も無いまま オサマ・ビン・ラデンの事件関与の疑いが濃厚という理由だけでアメリカ(クリントン政権)はスーダンとアフガニスタンにミサイルを発射した。スーダンの場合は、製薬会社、アフガンの場合は遊牧民や通りがかりの人々など 大部分のミサイルがもともとのターゲットと離れた場所に落ち、罪の無い人々が生命を落としたのは周知の事実である。まして 標的であった軍部訓練所付近に落ちたミサイルも肝心のオサマ・ビン・ラデンに関与するグループの被害はほぼ皆無だった。タリバンやこうした組織的グループのメンバーは発達した情報網を携えているので、いち早く脱出しているからだ。前回のミサイル報復でも 結局犠牲者の多くは 子供や女性だったと言う。
我々国連職員の大部分は 今日緊急避難される筈だったが天候上の理由として国連機がカンダハールに来なかった。ところがテレビの報道では「国連職員はアフガニスタンから避難した。」と既に報道している。報道のたびに「アメリカはミサイルを既に発射したのではないか。」という不安が募る。アフガニスタンに住む全市民は 毎夜この爆撃の不安の中で日々を過ごしていかなくてはいけないのだ。更に、現ブッシュ大統領の父、前ブッシュ大統領は 1993年の6月に 同年4月にイラクが同大統領の暗殺計画を企てた、というだけで 同国へのミサイル空爆を行っている。世界史上初めて、「計画」(実際には何の行動も伴わなかった?)に対して実際に武力行使の報復を行った大統領である。現ブッシュ大統領も今年(2001年)1月に就任後 ほぼ最初に行ったのが イラクへのミサイル攻撃だった。
これが単なる偶然でないことは 明確だ。更にCNNやBBCは はじめからオサマ・ビン・ラデンの名を引き合いに出しているが米国内でこれだけ高度に飛行システムを操りテロリスト事件を起こせるというのは大変な技術である。なぜ アメリカ国内の勢力や、日本やヨーロッパのテロリストのグループ名は一切あがらないのだろうか。他の団体の策略政策だという可能性は無いのか?
国防長官は早々と 戦争宣言をした。アメリカが短絡な行動に走らないことをただ祈るのみである。
それでも 逃げる場所があり 明日避難の見通しの立っている我々外国人は良い。今回の移動は 正式には 避難(Evacuation)と呼ばずに 暫定的勤務地変更(Temporary Relocation)と呼ばれている。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられるというのだろうか? アメリカは隣国のパキスタンも名指しの上、イランにも矛先を向けるかもしれない。前回のミサイル攻撃の時は オサマ・ビン・ラデンが明確なターゲットであったが 今回の報道はオサマ・ビン・ラデンを擁護しているタリバンそのものも槍玉にあげている。タリバンの本拠地カンダハールはもちろん、アフガニスタン全体が標的になることはありえないのか? アフガニスタンの人々も タリバンに多少不満があっても 20年来の戦争に比べれば平和だと思って積極的にタリバンを支持できないが 特に反対もしないという中間派が多いのだ。
世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センターやハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から死を悼み 無念の想いをやり場の無い怒りと共に抱いているように、アフガニスタンにも たくさんの一般市民が今回の事件に心を砕きながら住んでいる。アフガンの人々にも嘆き悲しむ家族の人々がいる。世界中で ただテロの“疑惑”があるという理由だけで、嫌疑があるというだけで、ミサイル攻撃を行っているのは アメリカだけだ。世界はなぜ こんな横暴を黙認し続けるのか。このままでは テロリスト撲滅と言う正当化のもとに アメリカが全世界の“テロリスト”地域と称する国に攻撃を開始することも可能ではないか。
この無差別攻撃や ミサイル攻撃後に 一体何が残るというのか。又 新たな報復、そして 第2,第3のオサマ・ビン・ラデンが続出するだけで何の解決にもならないのではないか。オサマ・ビン・ラデンがテロリストだからと言って、無垢な市民まで巻き込む無差別なミサイル攻撃を 国際社会は何故 過去に黙認しつづけていたのか。これ以上 世界が 危険な方向に暴走しないように、我々も もう少し 声を大にしたほうが良いのではないか。
アフガンから脱出できる我々国連職員はラッキーだ。不運続きのアフガンの人々のことを考えると 心が本当に痛む。どうか これ以上災難が続かないように 今はただ祈っている。そしてこうして募る不満をただ紙にぶつけている。
千田悦子 2001年9月13日 筆
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人間ドック
2001年9月19日初体験である。人間ドック。
快をちょっと早めに保育園に預け、伊豆長岡まで車を飛ばす。20分強で到着。
ここは「人間ドック」といっても、非常にハイタッチなサービスを提供していると噂のセンターらしく、うちの会社の人間4人限定、ツインの2人部屋ベッドとテレビと冷蔵庫付き、極め付きは展望温泉と豪華料理の昼ご飯付き! である。
が、検査は普通の人間ドックとほとんど変わらない……といっても僕は初体験だから、普通がどんなのかよく知らないけど、とりあえず手加減はなし。
朝から5本血を抜き、心電図を取り、尿をとり、MRIにかけられ、バリウムを飲まされ…である。
恐怖感を覚えていた「バリウム」は、それ自体はバナナ味のまずいどろどろ液体でたいしたことはないのだが、その前に飲む発泡剤がつらかった。「げっぷをするな」と言われても、苦しくて吐き気さえする。おまけに、バリウムを一口飲むと、からだをあっちこっちにねじ曲げるよう指示が出されたり、乗っている台がぐねぐね回転したりする。
つらかった。ホント。
まあ、おかげさまで、僕の体は胃以外はすこぶる快調らしい。胃は、潰瘍の手前の「糜爛(びらん)」という状態らしく、「何でもいいから胃薬を飲め」と指導される。
ただし、あれこれよけいなことを言われた。
曰く「頭の中が陥没している」(運動神経が悪いのはこのせいらしい)
曰く「背骨が曲がってる」(普通は女の人がなるんだけどねとか言われた。そういう言い方するなよな)
曰く「栄養失調じゃない?」(僕が調理担当だと言ったら医者は絶句していた。悪いか!?)
とまあ、こっちの方が僕は落ち込んだんですけど。
家に帰って、嬉々として妻に体験談をしようとしたら、僕の話を一言聞くだけでまた妻の話が始まってしまった。今日はそれにちょっと腹が立ってしまう。
だめだ、やっぱり僕、ちょっと変かも。
しばらくリフレッシュしないと、いつか爆発しそう…。
快をちょっと早めに保育園に預け、伊豆長岡まで車を飛ばす。20分強で到着。
ここは「人間ドック」といっても、非常にハイタッチなサービスを提供していると噂のセンターらしく、うちの会社の人間4人限定、ツインの2人部屋ベッドとテレビと冷蔵庫付き、極め付きは展望温泉と豪華料理の昼ご飯付き! である。
が、検査は普通の人間ドックとほとんど変わらない……といっても僕は初体験だから、普通がどんなのかよく知らないけど、とりあえず手加減はなし。
朝から5本血を抜き、心電図を取り、尿をとり、MRIにかけられ、バリウムを飲まされ…である。
恐怖感を覚えていた「バリウム」は、それ自体はバナナ味のまずいどろどろ液体でたいしたことはないのだが、その前に飲む発泡剤がつらかった。「げっぷをするな」と言われても、苦しくて吐き気さえする。おまけに、バリウムを一口飲むと、からだをあっちこっちにねじ曲げるよう指示が出されたり、乗っている台がぐねぐね回転したりする。
つらかった。ホント。
まあ、おかげさまで、僕の体は胃以外はすこぶる快調らしい。胃は、潰瘍の手前の「糜爛(びらん)」という状態らしく、「何でもいいから胃薬を飲め」と指導される。
ただし、あれこれよけいなことを言われた。
曰く「頭の中が陥没している」(運動神経が悪いのはこのせいらしい)
曰く「背骨が曲がってる」(普通は女の人がなるんだけどねとか言われた。そういう言い方するなよな)
曰く「栄養失調じゃない?」(僕が調理担当だと言ったら医者は絶句していた。悪いか!?)
とまあ、こっちの方が僕は落ち込んだんですけど。
家に帰って、嬉々として妻に体験談をしようとしたら、僕の話を一言聞くだけでまた妻の話が始まってしまった。今日はそれにちょっと腹が立ってしまう。
だめだ、やっぱり僕、ちょっと変かも。
しばらくリフレッシュしないと、いつか爆発しそう…。
月曜日
2001年9月17日月曜日の僕はやる気満々である。
普通の人は月曜日ってブルーなんですよね?
僕は月曜日が一番仕事がはかどるんです。
土日でゆっくり休んでいるから??
毎週リフレッシュした気持ちで職場に向かえるから??
うーん、あんまりそういう実感はないですが、今日もまた午前中の内にがしがしと多数の仕事を片づけてしまいました。
ただし、パワーが続くのは水曜日くらいまで。
木、金は抜け殻のようになってしまいます。
あ、そうか、スタミナがないくせにペース配分が悪いだけか。なるほど。
---
週末は妻の祖母の1周忌。大磯のお寺に朝から向かう。夏が戻ってきたような暑さに、秋冬ものの礼服はつらい…。
大磯プリンスで食事。快は前半はいい子で食事しているが、後半はつっくんの後を追いかけて暴れ回る。おむつ換えシートのないトイレでうんちおむつを換える。それでも機嫌は直らず、仕方なく中座して駐車場で「ぶーぶー」とハンドルをいたずらさせておく。
帰りは途中まで雨。
お昼寝ができなかった快は、夜かなりぐずる。
大人の都合で振り回される快は、ときどきかわいそうだと思う。
普通の人は月曜日ってブルーなんですよね?
僕は月曜日が一番仕事がはかどるんです。
土日でゆっくり休んでいるから??
毎週リフレッシュした気持ちで職場に向かえるから??
うーん、あんまりそういう実感はないですが、今日もまた午前中の内にがしがしと多数の仕事を片づけてしまいました。
ただし、パワーが続くのは水曜日くらいまで。
木、金は抜け殻のようになってしまいます。
あ、そうか、スタミナがないくせにペース配分が悪いだけか。なるほど。
---
週末は妻の祖母の1周忌。大磯のお寺に朝から向かう。夏が戻ってきたような暑さに、秋冬ものの礼服はつらい…。
大磯プリンスで食事。快は前半はいい子で食事しているが、後半はつっくんの後を追いかけて暴れ回る。おむつ換えシートのないトイレでうんちおむつを換える。それでも機嫌は直らず、仕方なく中座して駐車場で「ぶーぶー」とハンドルをいたずらさせておく。
帰りは途中まで雨。
お昼寝ができなかった快は、夜かなりぐずる。
大人の都合で振り回される快は、ときどきかわいそうだと思う。
糖尿病?
2001年9月12日妻の健康診断結果が返ってきた。
血糖値が120ちょいで、「ボーダーライン」だそうだ。
140を越えると糖尿病の可能性がある。
妻は僕よりひどい偏食で、野菜類はほとんど食わない。甘いもの、脂っこいもの、ジャンクフード、お菓子、ジュース大好きである。よくここまでの29年間、平気でいられたと逆に感心する。
しかし、我が家の調理担当は僕だから、ちょっと責任を感じているのも事実だ。早速再検査を受けてほしいと促す。ネット上で糖尿病について調べる。非常に大変な病気である。
そういう僕も、今月中旬に人間ドック。
昨年の健康診断では、中性脂肪の値が今ひとつだったから、今年はやばいんじゃないかと心配している。
二人そろって成人病じゃ、快に申し訳が立たない。
とりあえず、運動か?
快を背負って山登り、まんざらでもない計画かもしれない。
……戦争はよくない。人殺しもよくない。
もちろん、そんな当たり前のことをここで述べるつもりもないが、僕の外貨と株に影響するからやめてくれよ…。
ってなことをまず考えてしまう僕は平和な日本国民。糖尿病の心配ができるのも平和な証拠なのか。それとも…。
血糖値が120ちょいで、「ボーダーライン」だそうだ。
140を越えると糖尿病の可能性がある。
妻は僕よりひどい偏食で、野菜類はほとんど食わない。甘いもの、脂っこいもの、ジャンクフード、お菓子、ジュース大好きである。よくここまでの29年間、平気でいられたと逆に感心する。
しかし、我が家の調理担当は僕だから、ちょっと責任を感じているのも事実だ。早速再検査を受けてほしいと促す。ネット上で糖尿病について調べる。非常に大変な病気である。
そういう僕も、今月中旬に人間ドック。
昨年の健康診断では、中性脂肪の値が今ひとつだったから、今年はやばいんじゃないかと心配している。
二人そろって成人病じゃ、快に申し訳が立たない。
とりあえず、運動か?
快を背負って山登り、まんざらでもない計画かもしれない。
……戦争はよくない。人殺しもよくない。
もちろん、そんな当たり前のことをここで述べるつもりもないが、僕の外貨と株に影響するからやめてくれよ…。
ってなことをまず考えてしまう僕は平和な日本国民。糖尿病の心配ができるのも平和な証拠なのか。それとも…。
救いようがないな…。
2001年9月10日日記を書き、読み返してみるとわかるが、どうも僕は会社員には向いていない気がする。与えられたフィールドをしっかりと守るだけの役割では気が済まないとか言いつつ、自分のやりたいことをやらせてもらえる段になると「つらい」なんて言い出す。
気分で言うことがころころ変わるし、いやな仕事は他人に押しつける。面倒なことはなるべくさけようとするし、仕事でつらかった気分をそのまま家に持ち帰り、妻や子に当たり散らす。
なんだなんだ?
最悪じゃないか。
今月中旬には、人生初の「人間ドック」が待っている。今は密かに、この検査で「仕事は辞めた方がいいですな」と医者に言われるのを期待している。なんだ、他力本願で優柔不断なところまであるのか。どうしようもないな…。
僕らはいろんなものに遠慮して生きている。そうでないと社会や会社がうまく回らないことが多いからだ。僕は今、どんなことに「遠慮」しているだろう。
朝、保育園から緊急の電話。ちらりと予想していたとおり、「休園」である。8時過ぎに電話してきて「休園」もなにもねーだろ、と悪態をつきつつ、辻堂に電話。ばーばは台風の中、電車も途中で止まったのに10時過ぎには駆けつけてくれる。
少なくとも、自分の子どもを育てたい、子どもと一緒にいたい、という気持ちがあるのに、仕事に遠慮する生活だけはいずれ何とかしたい。
気分で言うことがころころ変わるし、いやな仕事は他人に押しつける。面倒なことはなるべくさけようとするし、仕事でつらかった気分をそのまま家に持ち帰り、妻や子に当たり散らす。
なんだなんだ?
最悪じゃないか。
今月中旬には、人生初の「人間ドック」が待っている。今は密かに、この検査で「仕事は辞めた方がいいですな」と医者に言われるのを期待している。なんだ、他力本願で優柔不断なところまであるのか。どうしようもないな…。
僕らはいろんなものに遠慮して生きている。そうでないと社会や会社がうまく回らないことが多いからだ。僕は今、どんなことに「遠慮」しているだろう。
朝、保育園から緊急の電話。ちらりと予想していたとおり、「休園」である。8時過ぎに電話してきて「休園」もなにもねーだろ、と悪態をつきつつ、辻堂に電話。ばーばは台風の中、電車も途中で止まったのに10時過ぎには駆けつけてくれる。
少なくとも、自分の子どもを育てたい、子どもと一緒にいたい、という気持ちがあるのに、仕事に遠慮する生活だけはいずれ何とかしたい。
不安定
2001年9月9日どうも不安定だ。
妙にイライラする。
やっぱり、仕事のことが影響しているに違いない。周りに「なに、まだ落ち込んでるの?」とか言われた時には「いえいえ、もうすぐに忘れる方ですから」などと愛想良く答えたのだが、いまだに胸が痛い。
軽い人間不信に陥っている。
もちろん、一緒に仕事をしている二人とは信頼できるパートナーとして、日々仕事を続けていけるのだが、それ以外のこととなると、もう全然だめである。情けない。
しばらく休みでも取った方がいいのかもしれないけど、今の状況じゃそういうわけにもいかない。せめてできることを日々やっていくだけだ。
前にもまして日曜日がつらくなった。
缶チューハイとビールを空けて、酔っぱらわないと「ちびまるこちゃん」過ぎの時間を過ごせなくなってきた。
しばらく楽をしたいな…。
それが今の本音です。
妙にイライラする。
やっぱり、仕事のことが影響しているに違いない。周りに「なに、まだ落ち込んでるの?」とか言われた時には「いえいえ、もうすぐに忘れる方ですから」などと愛想良く答えたのだが、いまだに胸が痛い。
軽い人間不信に陥っている。
もちろん、一緒に仕事をしている二人とは信頼できるパートナーとして、日々仕事を続けていけるのだが、それ以外のこととなると、もう全然だめである。情けない。
しばらく休みでも取った方がいいのかもしれないけど、今の状況じゃそういうわけにもいかない。せめてできることを日々やっていくだけだ。
前にもまして日曜日がつらくなった。
缶チューハイとビールを空けて、酔っぱらわないと「ちびまるこちゃん」過ぎの時間を過ごせなくなってきた。
しばらく楽をしたいな…。
それが今の本音です。
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熱、下がる。
2001年9月8日熱は何とか下がる。
今朝は6度8分。
起きてみると、体の芯に熱っぽさが残っている。
今日はできるだけなにもせずにすごそう。
そう決めて、最低限のやらねばならぬ買い物、来週分の夕食の下ごしらえを午前中のうちに済ませる。
快が眠そうなので、車を出して御殿場までドライブ。これくらいなら大丈夫…と思っていたが、途中寄った「カインズホーム」で突発的に熱っぽく、さらにイライラ感が募り、急いで帰宅する。
やはり熱がある。
どうしたものか。
なにがこんなに体調不良にさせるのか。
まったく…。
今朝は6度8分。
起きてみると、体の芯に熱っぽさが残っている。
今日はできるだけなにもせずにすごそう。
そう決めて、最低限のやらねばならぬ買い物、来週分の夕食の下ごしらえを午前中のうちに済ませる。
快が眠そうなので、車を出して御殿場までドライブ。これくらいなら大丈夫…と思っていたが、途中寄った「カインズホーム」で突発的に熱っぽく、さらにイライラ感が募り、急いで帰宅する。
やはり熱がある。
どうしたものか。
なにがこんなに体調不良にさせるのか。
まったく…。
発熱
2001年9月7日昨日は夕方からどーっと熱が押し寄せてきて、ついに9度近くまであがってしまった。
ミヤジさんが休みだったので、コニシくんとふたりきりの現状としては、倒れてでも会社にいるべきだったのだろうけど、幻覚が見えてきたので申し訳ないと思いつつ、6時前に退社。
快をお迎えして、7時半までの1時間強は、地面はぐるぐる回り、一方でそんなことはとうてい理解できぬ快の「牛乳くれー」「めしくわせろー」の叫びと鳴き声と格闘しつつ、自分も何か食って薬を飲まねばと思って必死でレトルトのカレーを温め、米を炊いて口にする、という地獄の時間。
妻が帰ってきたときは、地獄に仏、後は頼むと言い残して、布団にばたりと倒れた僕でした。
薬のおかげで熱は7度台まで下がり、今日も何とか出社。今日はヒガシさんを迎えてのケースカンファなので、休むわけにはいかず、しかし、夜のアフタートリートメントはお断りして退社。
新サービスが始まって気が抜けたのか、たまった疲れがでたのか、あるいはまだダメージが尾を引いているのかわからないけど、とにかく土日とゆっくり休むべきだと思う。
ミヤジさんが休みだったので、コニシくんとふたりきりの現状としては、倒れてでも会社にいるべきだったのだろうけど、幻覚が見えてきたので申し訳ないと思いつつ、6時前に退社。
快をお迎えして、7時半までの1時間強は、地面はぐるぐる回り、一方でそんなことはとうてい理解できぬ快の「牛乳くれー」「めしくわせろー」の叫びと鳴き声と格闘しつつ、自分も何か食って薬を飲まねばと思って必死でレトルトのカレーを温め、米を炊いて口にする、という地獄の時間。
妻が帰ってきたときは、地獄に仏、後は頼むと言い残して、布団にばたりと倒れた僕でした。
薬のおかげで熱は7度台まで下がり、今日も何とか出社。今日はヒガシさんを迎えてのケースカンファなので、休むわけにはいかず、しかし、夜のアフタートリートメントはお断りして退社。
新サービスが始まって気が抜けたのか、たまった疲れがでたのか、あるいはまだダメージが尾を引いているのかわからないけど、とにかく土日とゆっくり休むべきだと思う。
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車の名前
2001年9月6日快のお得意は、車である。
車種もかなりの数知っているのではないだろうか。
うちの車は「マツダ・デミオ」である。
じぶんちの車を見つけたときはもちろん、まちなかに止まっているデミオ、対向車でやってくるデミオを見ると、「パパ! パパ!」と言う。
「あれはパパの車である」という意味だ。
(「デミオ」と幾度となく教えているのだが、言えないのか言いたくないのか、言わない。)
妻の実家は「クラウン」なのだが、これは「ばーば」と言う。もちろん、「ばーばの車」の意である。
「らぶふぉ」は、「RAV4」のことだが、さすがに1歳児にはRV車すべての区別は付かないのか、サーフを見ようが、パジェロを見ようが、ランクルだろうがジムニーだろうが、「らぶふぉ」である(どうやら車後部のスペアタイヤが目印らしい)。
驚くのは、かなり遠くでも見極めることだ。
妻などはあまり車に詳しくないから、快の方が気づくのが早いことさえある。
テレビでよく「天才少年!」などと言われて日本中の駅名を言ってしまうオコサマがいる。
親が勘違いするのも無理はないのかな、と思う。
だって、オコサマたちの吸収力は、まるで砂漠に水をまくかのようで、大人としても驚きとうれしさとを感じまくっちゃうんである。
なるべく勘違いだけはしないでおこう、と思いつつ、今日も運転席から
「あれは『ウィンダム』だよ」とか
「お、今度は『ヴェロッサ』だ」とか
快に声をかけてしまう今日この頃なのでした。
車種もかなりの数知っているのではないだろうか。
うちの車は「マツダ・デミオ」である。
じぶんちの車を見つけたときはもちろん、まちなかに止まっているデミオ、対向車でやってくるデミオを見ると、「パパ! パパ!」と言う。
「あれはパパの車である」という意味だ。
(「デミオ」と幾度となく教えているのだが、言えないのか言いたくないのか、言わない。)
妻の実家は「クラウン」なのだが、これは「ばーば」と言う。もちろん、「ばーばの車」の意である。
「らぶふぉ」は、「RAV4」のことだが、さすがに1歳児にはRV車すべての区別は付かないのか、サーフを見ようが、パジェロを見ようが、ランクルだろうがジムニーだろうが、「らぶふぉ」である(どうやら車後部のスペアタイヤが目印らしい)。
驚くのは、かなり遠くでも見極めることだ。
妻などはあまり車に詳しくないから、快の方が気づくのが早いことさえある。
テレビでよく「天才少年!」などと言われて日本中の駅名を言ってしまうオコサマがいる。
親が勘違いするのも無理はないのかな、と思う。
だって、オコサマたちの吸収力は、まるで砂漠に水をまくかのようで、大人としても驚きとうれしさとを感じまくっちゃうんである。
なるべく勘違いだけはしないでおこう、と思いつつ、今日も運転席から
「あれは『ウィンダム』だよ」とか
「お、今度は『ヴェロッサ』だ」とか
快に声をかけてしまう今日この頃なのでした。
納得と理解
2001年9月5日納得してもらえない人にも理解はしてもらう。
新しいことをやろうとすると、さまざまな反応がある。新しいことは、それが現状をひっくり返すものであればあるほど、全員に納得してもらえるような状況を作り出すのは難しい。
となると、一人でも多くの人に理解してもらえるような努力が必要である。
僕はその努力をこの3年間続けてきた。そのはずだ。でも、そのやり方が正しかったかというと、多分間違っていたもののほうが多かったんだろうな、と今となっては思う。
「理解してもらおう」と伝えようとしても、相手に伝わらないことがある。こちらは伝えたと思っていても、相手にはぜんぜん伝わっていなかったということもある。こちらが伝えることを忘れてしまう場合もあるし、相手の「聞こう・理解しよう」という環境が整っていない場合もある。
難しい。
ほんとに難しい。
今日はしばし愚痴モードだった。
新しいことをやろうとすると、さまざまな反応がある。新しいことは、それが現状をひっくり返すものであればあるほど、全員に納得してもらえるような状況を作り出すのは難しい。
となると、一人でも多くの人に理解してもらえるような努力が必要である。
僕はその努力をこの3年間続けてきた。そのはずだ。でも、そのやり方が正しかったかというと、多分間違っていたもののほうが多かったんだろうな、と今となっては思う。
「理解してもらおう」と伝えようとしても、相手に伝わらないことがある。こちらは伝えたと思っていても、相手にはぜんぜん伝わっていなかったということもある。こちらが伝えることを忘れてしまう場合もあるし、相手の「聞こう・理解しよう」という環境が整っていない場合もある。
難しい。
ほんとに難しい。
今日はしばし愚痴モードだった。
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反応は…?
2001年9月3日今日からいろんなことが始まる。
社内のナレッジ系サイトがオープン。
苦節1年、やっとここまでこぎ着けた。
(って、僕は企画運営のみだけだけどね)
「サポーター」のサービスが開始。
こちらはほぼ3年越しの企画である。
とうとう有料化の日が来た。
早速様々な反応がある。
いい反応もあれば、悪い反応もある。
もちろん、これまで幾多の小さな「オープン」を繰り返してきたから、悪い反応もあると予測していた上である。
でも、やっぱり、「われ、なに因縁つけとんのじゃい!」と思うような反応があると、どうしても感情的になってしまう。いかん、悪い癖だ。
新しいことが始まるとともに、僕も少しだけ新しくなろう。
---
昨日は、快と妻を連れて芝川町の温泉に。
東名を上手に使えば1時間ちょいで行けることがわかった。
が、快は相変わらずのわがままし放題で、泣きわめき、暴れ回り、ついに僕もキレてしまう。。
妻は僕以上に几帳面なので、ちょっとした快のいたずらもかなり怒って対応する。
僕も妻も、「いつもは優しく、いざというときは厳しく」ってのは理解しているし、実践しているんだけど、「いざというとき」の線引きが違うんだよな…。
いろいろフクザツなキモチをはらんだまま、帰りは「道の駅富士川」のマックでポテトを食べ(僕はさぬきうどんも食べ)、帰宅。
快は夜、寝るときに「口が痛い」と不機嫌になる。すわ、手足口病再来か? と思ったが、2度ほど目覚めただけでずっと眠り、朝、熱もない。
一応ばーばにスクランブルの可能性ありと伝え、出社した。
社内のナレッジ系サイトがオープン。
苦節1年、やっとここまでこぎ着けた。
(って、僕は企画運営のみだけだけどね)
「サポーター」のサービスが開始。
こちらはほぼ3年越しの企画である。
とうとう有料化の日が来た。
早速様々な反応がある。
いい反応もあれば、悪い反応もある。
もちろん、これまで幾多の小さな「オープン」を繰り返してきたから、悪い反応もあると予測していた上である。
でも、やっぱり、「われ、なに因縁つけとんのじゃい!」と思うような反応があると、どうしても感情的になってしまう。いかん、悪い癖だ。
新しいことが始まるとともに、僕も少しだけ新しくなろう。
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昨日は、快と妻を連れて芝川町の温泉に。
東名を上手に使えば1時間ちょいで行けることがわかった。
が、快は相変わらずのわがままし放題で、泣きわめき、暴れ回り、ついに僕もキレてしまう。。
妻は僕以上に几帳面なので、ちょっとした快のいたずらもかなり怒って対応する。
僕も妻も、「いつもは優しく、いざというときは厳しく」ってのは理解しているし、実践しているんだけど、「いざというとき」の線引きが違うんだよな…。
いろいろフクザツなキモチをはらんだまま、帰りは「道の駅富士川」のマックでポテトを食べ(僕はさぬきうどんも食べ)、帰宅。
快は夜、寝るときに「口が痛い」と不機嫌になる。すわ、手足口病再来か? と思ったが、2度ほど目覚めただけでずっと眠り、朝、熱もない。
一応ばーばにスクランブルの可能性ありと伝え、出社した。